ぞな(Xona) の  日本語大好き!

「ことばの百科店」http://xona****のはてなブログ版です

してもらってもいいですか?
  カテゴリーⅤ:それって敬語?

近(でもないかな?)、職場や街でこんなことばづかいを聞きませんか。

「・・してくれませんか」とか
「・・して下さいませんか」とか
いうべき場面で

「・・してもらってもいいですか?」だの
「・・していただいてもよろしいですか?」だの
と言います。

いつごろからでしょうか、若い人から始まって最近では中年層にまで広がってきているようです。

私が初めて気づいたのは、もうずいぶん前のことですが、年金事務所(その頃は「社会保険事務所」と言いました)へ出向いて「国民年金・厚生年金保険・船員保険障害給付裁定請求書」(なんと長い名前!)というのを提出した時です。とても神経を使う場面でした。
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手続きにどんな書類が必要かは予め聞いていたので書類の不備はなかったのですが、どうしても何ヶ所か記入漏れや押印忘れがあります。
窓口の職員がそれをひとつひとつ指摘してくれるのですが、その時の言い方が

〇〇「ここにその番号を記入していただいてもいいですか
〇〇「ここに認印押していただいてもいいですか

要するに「記入せよ」「認印を押せ」という意味なのですが、すべてこんな調子なのです。(若くてキビキビした感じの男性職員です。)正直言って最初は意味がわかりませんでした。

の語感としては
「ハンコを押してもらってもいいですか」は
〇〇「(別の誰かに)ハンコを押してもらおうと思うが、
〇〇あなたは)それでもいいか」

と質問されているように感じてしまうのです。
「高齢者の語感」と言われればそれまでの話です。

その後、職場の同僚(主として若い女性)がよくそんな言い方をするのを聞くようになりました。「その書類を見せてもらっていいですか」などは今や普通です。
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語の使い方をちゃんと知らない人が、ただひたすら、丁寧に言おう、丁寧に言おうとするあまりこういう変な言葉遣いをするのだと言う人もいますがどうなんでしょうね。

私の感覚では「~していただけませんか」あたりでじゅうぶん丁寧だと思うのですが。

それとも丁寧度とは関係ない別の意味が込められているのでしょうか。

(そういえばこの職員、公共職業安定所のことを「ハローワークさん」と言っていた。)

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「いくつ」「いくら」
  カテゴリーⅦ: なつかしき伊勢ことば

の記事で、「関西地方の他の地域の言葉にはない いくつかの特徴(トゲ?)が伊勢ことばにはあります」と書きました。("「と抜け」はない") それの さらに いくつかの例をここでご紹介します。

伊勢ことばで育った人が進学や就職で大阪などに移り住んで最初に覚える関西弁のひとつが「なんぼ」ではないでしょうか。お店で何かを買ったとき、飲食店で飲み食いしたとき「なんぼ?」「なんぼですか?」と言います。

ときたま自分の故郷に戻ったときでも同じような場面で「なんぼでっか」と(大阪人ぶって?)言う人もけっこういます。
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こんなことを言うと「えっ?」と思う方が多いかも知れませんね。伊勢ことばというのは他府県、特に中部・東海より東の地方の人には関西弁としか聞こえないらしいので、伊勢ことばでも当然「なんぼ」は「なんぼ」と言うのだろうと思われがちです。でも実際はそうじゃないのですよ。

近の若い人たちの話し方がどうなのか、故郷を離れて半世紀以上経つ私にはよくわからないのですが、伊勢ことばでは本来「なんぼ」は使いません。
仮にそれがお金の話であれば「いくら」と言いますし、一つ二つと数えられるものであれば「いくつ」と言います。誰かの年齢を尋ねる場面でも「いくつにならんしたん?」というのが普通の言い方です。
どちらも「」にアクセントがあります。「い/\つ」であり「い/\ら」です。

「なんぼ」は聞き方によっては「何本」のように聞こえることがあるので、「大阪ではお金の額や人の年齢を ”一本、二本”と数えるのか?」と質問する人がいたほどです。(昔の話ですが)

柳田國男の「蝸牛考」で有名な「方言周圏論」に従えば、京つまり都の言葉遣いが波紋のように周囲の地方へ伝わっていく過程で「なんぼ」はまだ伊勢地方にまで到達していない状態なのでしょうか。それとも、江戸・東京の文化的影響力が強くなったために「波紋」がこれ以上前進できなくなってしまったのでしょうか。

ほどご紹介した 「いくつに ならんしたん?」
については注釈が必要かも知れません。大阪や京都など 京阪神地域ではまず聞くことがない表現ですが、伊勢ことばでは頻繁に使います。

これも一種の「トゲ」でしょうかね。

「いくつ」はもちろん説明不要でしょうが、問題は「ならんしたん」の方です。
最後の「」は「の」と同じ、つまり
「どこへ行く?」は「どこへ行くの?」と同じであり
「明日の朝は早い?」は「明日の朝は早いの?」と同じですから難しく考える必要はないと思います。

ならんした」は「ならんす」の過去(というより、この場合は完了?)を意味するのですが、「ならんす」っておわかりにならないでしょうね。

動詞の敬語表現は通常、丁寧語・尊敬語・謙譲語の3種類があるとされていますが、("敬語はむずかしい ~職場で恥をかかないために~")「ならんす」は「なる」の尊敬語です。

つまり、動詞の未然形+「んす」で尊敬を表現するわけです。なので、「いくつに ならんしたん?」は、仮に 大阪弁で言うならば「なんぼに ならはったん?」に相当します。

「標準」語(と言うより東京弁と言った方がいいのかな?)、東京圏に住む人たちの日常会話ではどう表現するのでしょう。特にビシッと改まった雰囲気なんかじゃなく、普段着の軽いおしゃべりならばどうなのか、です。

例えば、久し振りに会った知り合いが子供を連れている、この子ったらしばらく見ないうちにずいぶん大きくなったわね、という感じを表現するのに
「おいくつに おなりですか?」では他人行儀で丁寧すぎるでしょう。
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伊勢ことばなら 相手に対する親しさ軽い敬意とをいっしょにして「いくつに ならんしたん?」と言えます。他人行儀でもないし、もちろん不躾な感じもありません。

いわゆる五段活用の動詞だと、未然形ア段)+「んす」となりますし、
例:
行く→行かんす
笑う→笑わんす

上一段・下一段活用の動詞だと、未然形イ段エ段)+「やんす」となります。
例:
見る→見やんす
食べる→食べやんす

では、サ行変格活用(「する」)、カ行変格活用(「来る」)と呼ばれる不規則な動詞の場合はどうかと言いますと、
例:
する→さんすしやんす?)
来る→??

「する」の尊敬語としては「さんす」が最も普通だと思いますが、「しやんす」を使う人が絶対ないと断定する自信もありません。地域によって、または、年代によってはあるかも知れません。

しかし、「来る」の尊敬語として「こんす」だとか「こらんす」だとか、そんな言い方はありません。そんな語彙そのものが存在しません。
なので、別の動詞を代わりに使用します。
それが「おいでる」若しくは「みえる」です。

おいでる」は「おいでになる」の縮約形なのかも知れませんが、使い勝手は微妙に違います。その過去形は「おいでた」または「おいった」です。
おいった」は「おいでた」の促音便と考えていいでしょう。
おいでる」をさらに尊敬の程度を高くした「おいなさる」「ござる」という言い方がありますが、日常的によく使うようなことばではありません。

同じ意味で「みえる」とも言いますが、伊勢地方だけでなく愛知県や岐阜県の一部でも使われるようです。大抵の人はそれが全国どこでも通じる言い方だと思い込んでいますww
(ジャパンナレッジ『日本語どうでしょう?』“気づかない方言”の「みえる」

おいでる」も「みえる」もそうですが、「来る」の意味だけでなく「居る」の意味でも使います。その辺は「おいでになる」や「いらっしゃる」などと同じです。
「行く」の尊敬語としても使えそうな感じがしますが、実際にはまず聞かれません。「行く」には「行かんす」がありますから。

行かんす」をもっと尊敬の程度を高くすると「行かさる」という言い方になります。

京都辺りの「行かはる」と同根の表現でしょうが、伊勢ことばの 「行かさる」は 言ってみれば「直立不動」「最敬礼」と言ったニュアンスの言葉遣いで、そう軽々しく使うものではありません。

そんなわけで「いくら / いくつ」も「関西地方の他の地域の言葉にはないトゲ」のひとつかもしれません。

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「ご冥福」は世界共通か
  カテゴリーⅠ: ぞなつぼやき ~つぶやき? ぼやき?~

い先日、英国のエリザベス女王の夫・エディンバラ公フィリップ殿下が99歳で死去(2021年4月9日)というニュースが飛び込んできました。
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私はYahooニュースでそれを知ったのですが、そのニュースに対し多くの方がコメントを寄せていました。

そして、その中の何人かの方が「ご冥福をお祈り致します」と書いていました。

「ご冥福を・・・」は、ご存知のように、誰かが亡くなった際、特に弔辞・弔電でよく使われるお悔やみの決まり文句の一つですよね。

弔辞・弔電だけでなく 何かの公的な行事・催し物などでも、本題に入る前に、最近発生した大規模災害で亡くなられた方へのお悔やみとして

〇〇「亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げます」

と挨拶する事がよくあります。

大相撲の本場所の初日などで八角理事長がよく口にするのを聞きますよね。

ご冥福?? 冥福って何?

福(めいふく、または、みょうふく)は大抵の辞典には

〇〇「死後の幸福」とか「冥界での幸福」

とか説明されています。

「冥界(みょうかい)」は「冥途」とも言い、死後の世界、つまり 平たく言えば あの世の事だそうです。

「冥界」、つまり死後の世界での幸せを祈りますという意味ですから、亡くなった方がどなたであろうと

〇〇「ご冥福をお祈り致します」

という言葉を使用するのは問題ないと多くの人は思い込んでいます。私もかつてはそうでした。
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しかし、辞典によってはもう少し突っ込んだ説明もあって、「冥界」と云うのは

〇〇「死後、死者の霊魂がたどって行く道。
〇〇亡者のさまよい行く世界。
〇〇主として地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしょう)の
〇〇三悪道などをさす」

だそうです。

これは「日本大百科全書(ニッポニカ)」の解説です。黄泉(よみ)とも言うようです。

う解説されると
「え? ちょっと待てよ」
と感じる人が多いかもしれません。

これはどう考えても仏教に基づく考え方ですよね。亡くなられた方が仏教徒であることがはっきりしている場合なら特に問題はなさそうです。

しかし、仏教にはいくつもの宗派があって、「冥界」とか「冥途」という考えを持たない宗派もあるのです。

その一つが「浄土真宗」です。

浄土真宗の教えでは「往生即成仏」、つまり「人は誰でも亡くなるとすぐに阿弥陀仏に救われて成仏し、幸せになれる」と考えます。

つまり、亡くなった人が冥途という暗い道を来世に向かって歩き続けるということはない、という考え方です。

ですから、

〇〇「ご冥福をお祈り致します」

という考えは浄土真宗の教えに反するわけで、しかも、ある意味、亡くなった方に対する酷い仕打ちでもあるわけです。

しかも、浄土真宗は圧倒的な信者数を擁する、日本の仏教界で最大の宗派なのです。
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この地球上には仏教以外の、例えばキリスト教イスラム教やヒンズー教や・・・といった様々な宗教があります。日本には神道もあります。

くなった方が仏教徒であっても、宗派によっては「ご冥福を・・・」というお悔やみの言葉で遺族や周りの方々に不愉快な思いをさせてしまう場合があるのです。
まして、仏教徒以外の人にこれを使うなんてあまりにも無神経かも。

ブログなどで、例えば、身体障害者を差別するような事を書いたら批判されますよね。批判程度ではすまないかも知れません。

でも、キリスト教徒(かも知れない人)やユダヤ教徒(かも知れない人)が亡くなった場合、平気で「ご冥福をお祈り致します」と発言する人はけっこういます。

しかも、それを「不適切だ」と批判する人が殆どいないのが実情です。
それどころか、もしも「不適切だ」と批判すると

「こういう細かいところで突っ込んでくるつまらない人・・」とか
「相手の宗教を考慮して傷付けない言い回しが必要ならば、マスコミの自主規制と同じ」とか

こんな感じで陰険に絡んで来る・・というのがSNSの実態です。(実際にこういうやり取りが某ブログであったのを目撃しました)

英国のエリザベス女王の夫・フィリップ殿下が仏教徒だと思っている日本人はおそらく一人もいないでしょうが、軽い気持ちで「ご冥福を・・・」と発言する人はいっぱいいます。

もちろん悪意はないのでしょうが、配慮が足りないと言われても仕方ないかも知れませんね。

この問題に関しては「真宗大谷派 法栄山三宝寺」というお寺のホームページ『真宗は冥福を祈らない?』がわかりやすく説明してくれています。感謝。


お葬式全般や弔辞・弔電に関してもっと知りたいなら、葬儀社のホームページがお薦めです。けっこう沢山ありますよ。

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ボカスカ
  カテゴリーⅣ: 東京で起こると全国ニュースになる

017年6月、東京・上野動物園ジャイアントパンダの赤ちゃんが誕生し、その直後から「日本中が歓喜に包まれて・・」といった感じの報道が全国ニュースで流されていました。
f:id:Xonanox4155:20210406150951j:plain:w350 それに対して一部からは「騒ぎすぎだ」という声も聞かれましたが、私はそうは思いません。いいじゃないですか、ほえましくて。

和歌山県白浜町アドベンチャーワールドにもパンダがいる、神戸・王子動物園にもパンダがいるなんて、東京ではあまり知られていないのですから無理もない話だと思いますよ。

家の司馬遼太郎さん(だったかな?)が戦時中に○○県の山奥のへんぴな村に疎開したときの話です。

さっそく村のガキ大将たちに囲まれて問いただされました。

〇〇「お前どこから来た」「××から」

〇〇「じゃあ、お前 海を見たことがあるか」「うん」

〇〇「海って、広いか」「・・・?  うん」

〇〇(村のはずれにとても大きな池がある)
〇〇「あの池より広いか」

比べようがないくらい広い、と答えたら

〇〇「なにい? あの池より広い? こいつ、
〇〇いい加減なことを言いやがって!」

ボカスカ、ボカスカと殴られたそうです。

無理もないでしょう。彼らにとっては自分の村とその周辺が世界のすべてなんですから。海の広さなんて想像できるわけがないですよね。

京とその周辺が日本のすべて、みたいな人たち(出身地がどこであろうと東京に住んで何年か経つとそうなる)に和歌山県アドベンチャーワールドの話なんかしたら大変ですよ。 f:id:Xonanox4155:20210407071224j:plain:w350
「なにい? 1~2年に1頭のペースで赤ちゃんパンダが誕生?
2020年11月に生まれた楓浜は17頭目
こいつ、いい加減なことを言いやがって!」ボカスカ、ボカスカ・・・ f:id:Xonanox4155:20210407071734j:plain:w700

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「飲ませられる」と「飲まされる」
  カテゴリーⅢ: 犬がドッグを食べる

日、近くの図書館で金谷武洋(かなや たけひろ)著
〇〇『日本語は敬語があって主語がない 「地上の視点」の日本文化論』
〇〇光文社新書・2010年刊)
を借りて、読みました。文章がわかりやすく、内容が面白いので一気に読んでしまいました。

「食べることができる」という意味の「食べられる」を「食べれる」と表現する人が世の中には沢山いますが、そういう言い方を「ら抜き言葉」と侮蔑的に呼び「文法的に間違った日本語だ」と非難する人が これまた沢山いるのも事実です。

金谷先生はこの本の中で
〇〇「ら抜き」という呼び方自体言語学的に言うと明らかに
〇〇間違いだ
という視点から批判を展開しています。

私がだらだらと引用するよりも この本を読んでくださるほうがよっぽど速いし正確だと思いますので、ぜひお読みください。

自身は「食べれる」「出れる」「見れる」といった表現をしない地方で育ったのですが(つまり「食べられる」「出られる」「見られる」のほうです)、社会人になって大阪へ出て来たら 周りはむしろ「食べれる」「出れる」「見れる」などが普通でしたから すぐに慣れました(特に九州や四国出身者は大体そうでした)。

それに、「食べることができる」という言わば可能表現の「食べれる」と
「鳥がライオンに食べられる」のような受身の表現をちゃんと区別できますから結構便利ですよね。

ら抜き言葉」と並べて「さつき(さ付き)言葉」についても金谷先生は批判していますが、こちらの方は呼び方を問題にするのではなく「さつき(さ付き)言葉そのものが明らかな誤用で、呼び方は正しいという立場です。

さつき言葉」というのは たとえば「休ませていただきます」と言うべきを
「休ませていただきます」
というように余計な「」を加える言い方です。

さほど頻繁でもありませんが、確かに聞くことがありますね。どちらかというと 改まって改まって、丁寧に丁寧に物を言おうとするとき出てしまう言い方だという印象があります。

政治家がよく使う「(法案が)衆議院通過して・・・」を連想してしまうのは考え過ぎですかね(^^)。

つき言葉」の第二の用例として 金谷先生は使役受身形を挙げています。宴会で酒を無理強いされる状況で「飲ませられる」と言えばいいものを「飲ませられる」と言う人がいるという例です。私はあまり記憶がありませんが 確かにいそうですね。

金谷先生はこの後 ここの「」は不要であって、「飲ませられる」が正しいばかりか、さらには「飲ませられる」を縮約した「飲まされる」さえあります。 と書いているのですが、ちょっと、ちょっと待ってください。「飲まされる」って「飲ませられる」の縮約形なんですか? え?え?

動詞の使役形は(金谷先生のローマ字分析の書式で書けば)
「-(s)ase-」となるはずですよね。

〇〇飲む→飲ませる「nom-aser-u」
〇〇食べる→食べさせる「tabe-s-aser-u」
(書き方が間違っていたらごめんなさい)

でも、使役形が「-(s)ase-」ではなく「-(s)as-」となる地方も多いじゃないですか。

〇〇飲ませる(ではなく)→ 飲ます「nom-as-u)
〇〇食べさせる(ではなく)→ 食べさす「tabe-s-as-u」
〇〇考えさせる(ではなく)→ 考えさす「kangae-s-as-u」
(私の郷里では そうです)

もちろん、金谷先生がそんなこともご存じないなんてことは夢にも思っていません。ちょっとした揚げ足取りとして大目に見てください。
「飲ませる」ではなく「飲ます」を受身形にすると、ごく自然に
〇〇飲まされる「nom-as-are-u」
となるわけで、何の縮約形でもないはずです。

も、この本を読んで、そーっか「飲まされる」ってのは「飲ませられる」の縮約形だったのか、なんて早合点する人がいたら困るなあ、と少々真面目に考えたりもしてしまいます。

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そんな人だない
  カテゴリーⅥ: あなたも探そう「モジク現象」

本語文法の話題で「断定の助動詞」が取り上げられることがよくあります。

「(◎◎は)〇〇」「〇〇じゃ」「〇〇」の
」「じゃ」「

がそれですね。(それ以外にもあるのかな?)

近畿地方では大抵「」を使いますが(「そう、そう」のように)、そのほかの地方はどうなのかと言うと
東日本では「」(「そう、そう」)で
西日本は「じゃ」(「そうじゃ、そうじゃ」)を使うのだと思われているようです。

実際はそんな単純な分布ではなくて、西日本でも島根県鳥取県の大部分では「」を使うそうです。ここで問題は「大部分」であって決して「全部」じゃないという点です。
「〇〇」を使う地域に囲まれるような形で 「〇〇じゃ」を使う地域が点在しているのです。

えば鳥取県の場合、殆どの地域では「ああ」「こう」「それは〇〇」という言い方をしますが、中には(ほんの一部ですが)「ああじゃ」「こうじゃ」「それは〇〇じゃ」という言い方をする地域があります。

たいていは山間部の辺鄙(へんぴ)な田舎で(失礼!)、若い人たちの働き口があまりありませんから殆どは地域外へ働きに出ます。つまり、「〇〇じゃ」ではなく「〇〇」を使う地域へ行くわけです。そういう地域で「ああじゃ」「こうじゃ」「それは〇〇じゃ」などという喋り方をすると何かと からかわれたり ひやかされたり という事になります。

〇〇「**の奥には蛇(じゃ)が出るそうじゃが、
〇〇 うそじゃか本当(ほん)じゃか 行ってみんじゃけ
〇〇 わからんじゃが」
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これは普段「〇〇」を使う人が「〇〇じゃ」の地域の話し方をからかうときの決まり文句です。(注釈は省略しますww 「**」はもちろんそこの地名です)

からかわれて恥ずかしい、悔しい思いをしますから誰しも「〇〇じゃ」を使わず「〇〇」を使うようになります。職場でだけでなく自分の村へ帰っても「〇〇」を使って生活します。ですから日常生活でも「〇〇じゃ」を使う人は少数派になりつつあります。特に若い人たちは「〇〇じゃ」を殆ど使わなくなりました。

柳田國男の「蝸牛考」で有名な「方言周圏論」というのがありますが、そういう現象を早送り?で見ているような…と言うのは言い過ぎでしょうか。

ころがです、他の記事でも紹介している「モジク現象」がここでも見られるのです。("「モジク現象」とは?")

特に年配の方に多い感じがするのですが、例えば

「(誰それは)そんな人じゃない」というべきを

「そんな人だない」と言うのをよく耳にします。

「〇〇じゃ」を使わず「〇〇」と言わなきゃと意識しすぎて
「〇〇じゃない」の「じゃ」まで 「」と言ってしまうのだろうと思われます。

と何年かすると、この地区で「〇〇じゃ」を使う人はいなくなるかも知れません。しかし、「〇〇じゃない」を「〇〇だない」と言ってしまう人はその後も何年かは消えないような気がするのですが・・・どうなんでしょう。

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「くに」って何?
  カテゴリーⅡ: 嘘つき大阪人

に(国、邦、訓)」という言葉を辞典で調べると実に色々な意味が載っています。

「国家・国土(「くに」を守る?)」とか「郷里・故郷」(「くに」へ帰る?)などは私たちも日常よく聞くし、よく使いますから理解しやすいのですが、「(主に、天 (あめ) に対して)地。大地。」だとか「帝位。天皇の位。また、その政務。」<出典:デジタル大辞泉小学館)>などはあまりなじみがありませんね。
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外務省ホームページより

同じ「くに」でも「国家・国土」と「郷里・故郷」とではだいぶん意味合いが違いますが、同じ言葉で表現することにさほど違和感がありませんね。

も、「くに」にはもう一つ別の、少し面白い使い方があるのをご存知でしょうか。

もしかしたら、大阪だけで通じる使い方かも知れません。さらにもっと言えば、大阪でも、私が住んでいる北摂地域だけで通じる使い方かも知れませんが、

〇〇「あの会社の社員ってくにの人が多いね」
〇〇「四国とか九州とかね」
〇〇「そうそう。喋り方が私らとはかなり違うもん」

ここに登場する「くに」は「郷里・故郷」を意味する「くに」とは意味が微妙に違います。

誰かの故郷やら出身地やらを話題にしているのではないということはおわかりでしょう。

もちろん「国家」や「国土」とも全く違います。

ここで言う「くに」は、まあ、言うなれば「都会」に対する「田舎」と言ってもいいのですが、「くにの人」あるいは「くにから来ている人」は手っ取り早く言うと「地方出身者」という意味です。

大阪人からすれば京阪神地域以外は「くに」ですから(^^)、仮に東京出身者であっても「くにの人」という事になります。
なので「都会」に対する「田舎」という定義とは別かも知れませんね。

くに」という単語をこういった意味で使う土地って他にもあるのでしょうか?
どなたかご存知ならばご教示下さい。

阪だけで通じる、若しくは、大阪でも私が住んでいる北摂地域だけで通じるのかもという例をもう一つご紹介します。

堪能(たんのう)する」という言葉をご存知でしょう。

「たっぷりと、十分に満足するまで楽しむ」とか、
食べ物の話題であれば
「十分に満足するまで味わう」といった意味で使われますね。

我が家の近所にあるラーメン店は味噌ラーメンが売りであるらしく、

醸造家が全国津々浦々、歩きまわりてブレンドした特製味噌を堪能されよ」

と店頭の看板にも書いています。
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この「堪能」は、もちろん「十分に味わう」意味ですよね。

「堪能」にはそれとは別の意味もあります。

「goo辞書」には

「技芸・学問などにすぐれているさま」

という説明があります。
そして、使用例として、芥川龍之介「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の中の次の文を紹介しています。

〇〇――Tは独逸語に堪能だった。が、彼の机上にあるのはいつも英語の本ばかりだった。

かし、私はそれとはまったく違う使い方として

「昨日は同じ作業を朝から晩までやらされて堪能した」

というボヤキ?を何度か聞いたことがあります。

「十分に楽しんだ」どころか、それをはるかに通り過ぎて

うんざりした」「いやになった」という意味で「堪能した」と言うのです。

聞いたことあります?

初めにご紹介した「くに」も、ここで話題にしている「堪能する」も国語辞典には当然載っています。

でも、ここで説明したような意味や使い方を載せている辞典って見たことないでしょう?

語辞典に掲載されるのは 基本的にいわゆる「標準」語だけです。

特に必要性がない限り方言は掲載しないのが普通でしょう。

しかし、語彙そのものは辞典に載っているが、意味やそれを使う場面がその地方特有というケースもけっこうありますよね。

この記事でご紹介した「くに」や「堪能」もそうです。

ではここで、「標準」語しか知らない(お気の毒な?)方にクイズです。

〇〇「お寿司が食べたいな」
〇〇「そういえば、お寿司屋さんなんて当分行ってないねえ」

この「当分」の使い方をどう思いますか?

当分」というのは これから しばらくの間、という意味に使うのであって、過去のことに使うのは正しくないのだと信じて疑わない人が多いですが、日本中どこへ行ってもそうだとは言い切れない、という事も知ってほしいものです。

自身は「当分」を「これから しばらくの間」の意味に限定して使う方ですが・・・

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